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1835年、江戸木挽町(東京都中央区)の狩野勝川院邸内に、川越藩御用絵師橋本養邦の子として生まれる。幼少時より父から絵を学び
12歳で晴川院養信に入門。同日入門した狩野芳崖はその生涯にわたる朋友とりなり画技を競った。直後に養信が亡くなり、子の雅信
(勝川院)の門下となる。芳崖と共に勝川門の二神足と称され1854年勝川塾の塾頭になる。維新後、生活のため海軍兵学寮に製図係と
して出仕した。86年、海軍兵学校を辞し、芳崖と共に新たな日本の絵画表現の確立を目指す岡倉天心、フェノロサに認められて東京美
術学校創立に際し教授に任ぜられた。88年、美術学校開校を目前に芳崖が亡くなり、絶筆の『悲母観音』を仕上げる。翌年、東京美術
学校絵画科の主任に就任。横山大観、下村観山、菱田春草らはその門下である。同年、帝室技芸員となった。98年天心に殉じて美術学
校を退き、日本美術院創立に加わり、その主幹となった。代表作『白雲紅樹』は1890年の第3回内国勧業博覧会への出品作である。
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