竹内 栖鳳の買取はお任せください
1864年京都に生まれ、近隣に住む土田英林に絵を習い始めた。英林より鳥類をはじめ花卉や動物を現物に即して正確に写生することを学んだ。
絵の修業は順調に進み1881年英林のもとを去り幸野楳嶺に師事する。入門三日目に「棲鳳」に雅号をもらう。87年2月に京都画学校を卒業し
1889年より菊池芳文らと京都府画学校の出仕になり、京都市美術工芸展に出品した『猫児負暄』が色々な画流が混在していたことから「鵺派」
と批判された。このジャンルの枠を超える姿勢が、この後の栖鳳の時代を築いていく。京都市立美術工芸学校の教諭となる。同時期横山大観も
助教授を務める。日本青年絵画共進会の審査員となる。1900年、農商務省及び京都市よりパリ万国博覧会の視察を任命され、およそ半年の期間
欧州各地を巡遊する。帰国後雅号の「棲鳳」を「栖鳳」に改めた。1907年には第一回文部省美術展覧会が行われた。この展覧会は、流派の垣根
をなくし、東西の画家が一堂に会して行われた。東の岡倉天心らに対して、西の栖鳳らが参加し、日本美術史が大きく変化するきっかけを作っ
ている。この展覧会で審査員をすると同時に『飼われたる猿と兎』などを出品している。栖鳳が得意としたのは動物の絵であったが、人物画も
積極的に制作するなど、栖鳳の画家人生の中でも刺激的な時期だったことが分かる。その後、13年には帝室技芸員に任命されるなど、美術界で
の地位は不動のものになっていた。
代表作「班猫」「百騒一睡」「獅子」
竹内栖鳳の買取りはほくゆう倶楽部へお任せください
引用:倉田公祐『日本の名画 竹内栖鳳』(講談社、昭和48年11月20日)
ほくゆう倶楽部を選ぶメリット
-
骨董品・美術品を適正価格で買取創業20年、経験豊富な鑑定士が在籍しております。最新の美術品市場相場に、業者取引相場を考慮したうえで査定させていただきます。全国に販売ルートを持っている弊社だからこその高額買取が可能です。
-
無理な買取はしないお客様が大切にされいていたお品だからこそご納得された上で買取させていただきます。無料査定を行っておりますので、まずは価値を知っていただき手放す判断材料にして下さい。
-
他社との比較歓迎他社の査定額にご不満の方、相見積りをお考えの方もお気軽にお問い合わせください。骨董品や美術品の出張査定も無料にて行っております。
-
遺品整理、片付けもできる一般の遺品整理、片付け業者が処分品として扱ってしまう物も鑑定士が立合いのもと行う弊社では、買取り対象となる事も多くございます。年間、100件以上の実績がございます。多くのお客様よりご好評いただいております。