岸田 劉生の買取はお任せください
1891年、明治時代を代表する先覚者である岸田吟香と妻の勝子の第九子(四男)として東京銀座に生を受ける。様々な表現様式を会得しながら辿り着いた
無骨な写実的描写によって対象に宿る深い精神性を鋭く見抜き表現する独自の絵画様式を確立し、『道路と土手と塀』や『麗子微笑』など後に重要文化財
となる作品を始めとした西洋式絵画を手がける。東京高等師範学校付属の小学校・中学校に通いながら同級生たちとコンニャク版の同人誌を作りその表紙
や挿絵を画いた。1905年父の死をきっかけに、翌年キリスト教に入信し洗礼を受け信者となる。このキリスト教への入信は劉生の作品に少なくない影響を
与えた。1908年、絵画に専心する為、白馬会葵橋洋画研究所に入所し、洋画家・黒田清輝に師事しながら外光派の表現を会得。刊行されたばかりの美術雑
誌『白樺』を愛読し始める。特にポール・セザンヌやフィンセント・ファン・ゴッホに絶大な影響を受け、この頃の作品は、むしろ模倣に近いものであった。
白樺派の武者小路実篤や柳宗悦、英国の陶芸家バーナード・リーチらと交友を重ね、1912年、詩人・高村光太郎、画家の萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成、
同年におこなわれたヒュウザン会主催の展示会に自身の作品を出品した。1913年、同会の解散や小を経て、ルネサンス芸術やバロック様式などの絵画、ドイ
ツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの表現手法に感化され、翌年に手がけた作品には写実的表現への傾倒が顕著に示される。古典的絵画表現の
影響を受けながら自身の様式を模索・形成していった。また1918年に娘・麗子をモデルとした最初の作品『麗子五歳之像(麗子肖像)』を完成させる。
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