川端 龍子の買取はお任せください
実家は呉服商を営んでいたが11歳の頃一家で上京する。1903年に読売新聞社が『明治三十年画史』を一般募集した際龍子は30作品を応募し
このうちの2点が入選しの賞金を得る。これが本格的に画家を志すきっかけとなった。白馬会洋画研究所、太平洋洋画研究所にて当初は洋画作品を制作。
明治40(19079年第1回文展、翌年第2回文展にて入選となり、大正元年に渡欧、西洋画への道に行き詰まりを感じていた中ボストン美術館蔵で「平治物語
絵詞」をみて日本画転向を決意。帰国後は、挿絵作家としての仕事の傍らで日本画を独学にて研究し4年に平福百穂らと共に珊瑚会を結成、また院展に出
品し始めて4年に初入選、翌5年に樗牛賞を受賞、6年に院展同人に推挙。しかし昭和3年に院展を脱会して独自に会場芸術を主体とした「青龍社」を創立、
多くの門下を排出した。院展時代より卓越された画技に裏づけされた自由な発想と大胆な画風を展開、異色的作家として知名度を上げたが青龍社創立
以降その着眼点はさらに重厚さを増し大作の魅力を存分に展開するようなり日本画の新たな可能姓を示酸、34年には文化勲章を受賞した。
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代表作に「新樹の曲」「太平洋」連作「魚紋」「龍子垣」等。
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