【円山応挙 (圓山應擧)】絹本水墨『登瀧鯉』掛軸【江戸時代中期】
買取した品 | 【円山応挙 (圓山應擧)】絹本水墨『登瀧鯉』掛軸【江戸時代中期】 |
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買取した品の種類 | |
買取した住所 | 東京都新宿区 |
買取した日 | 2022年7月7日 |
皆さん、こんにちは!今日も陽射しが強く期待を裏切らない暑さですが、最近の中ではまだ、比較的涼しいほうでしょうか。
さて、本日もこれまでに買い取らせていただいた数々の素晴らしい作品たちの中から、こちらの作品を早速皆さんにご紹介させていただきたいと思います。
【円山応挙 (圓山應擧)】絹本水墨『登瀧鯉』掛軸【江戸時代中期】
作品の題名の通り、まさに「瀧を登る鯉」が水墨で実にシンプルに描かれています。カラフルな色味も一切使わず、大きく画角を捉えるわけでもなく「瀧を登る鯉」という、ここだけにフォーカスを当てていることが驚きです。
こんなにも斬新なシンプルさであるにも関わらず、地味でも物足りないでもなく、その線ひとつひとつの躍動感に目を奪われ、とても圧倒的な迫力を感じます。全面的に色や絵で埋め尽くさない、余白が充分にあってこその視線がグッと鯉に集中しますね。
水墨画ならではのグラデーションが、鯉を立体的に浮かび上がらせ、瀧の水を見事に表現しています。何度見ても、一色とは思えない繊細さと筆圧技術が素晴らしいです。まるで、今にも動きや温度までもが伝わってくるようです。
この作品もまた、円山応挙の細やかなデザインセンスと確かな技術が分かる一品ですね。
作者の円山応挙について、簡単にご説明させていただきます。
享保18年(1733年)丹波国南桑田郡穴太(あなお)村(現在の京都府亀岡市曽我部町穴太)に農家の次男として生まれました。幼少期の頃のことは、どこにも残っておらずあまり知られていないそうなのですが、少なくとも10代の後半には京へ出て、狩野探幽の流れを引く鶴沢派の画家「石田幽汀」の門に入られています。
謎が多ければ多い程に、人は気になって惹かれていくものです。まんまと調べてしまっています(笑)
明和3年(1766年)から「応挙」を名乗り始めたそうです。「応挙」の意味は「銭舜挙(中国宋末 - 元初の画家)に応ずる」ということだそうで、中国の大家に劣らぬ水準の絵を描こうとする意味が込められていると想像します。
応挙の画風上の有名な特色としては、近世の日本の画家のなかでも際立って「写生」を重視したことが真っ先に挙げられます。また、写生の技術を基礎としつつも、日本絵画の伝統的な画題を扱うなどして、装飾性豊かな画面を創造しているところにあると言えるでしょう。
数々の素晴らしい作品を世に生み出した、日本が誇る伝統芸術家の一人である「円山応挙」の作品から【絹本水墨『登瀧鯉』掛軸】を今回はご紹介させていただきました。
いかがでしたでしょうか。今回もまた素敵な作品と出会わせていただきました。
是非、この感動を味わっていただきたいと思いますので、
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