【江戸時代後期・円山応挙(圓山應擧)】筆 紙本水墨『赤壁之図』大幅掛軸【円山派の始祖 伝】
買取した品 | 【江戸時代後期・円山応挙(圓山應擧)】筆 紙本水墨『赤壁之図』大幅掛軸【円山派の始祖 伝】 |
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買取した品の種類 | |
買取した住所 | 東京都世田谷区 |
買取した日 | 2022年5月19日 |
皆さん、こんにちは!今日は久しぶりに雨が降らなくて嬉しいですが、ただただ暑いですね。今年は雨が多いなと思いながら思い返せば、昨年も梅雨入り前の5月から雨天が続いていたことを思い出しました。今後、春らしい春がどんどん短くなっていってしまうのでしょうか。
どんよりしてしまいましたが、そんなことを吹き飛ばしてくれる程、本日も世田谷代田には沢山のお客様に足を運んでいただいております。引き続き、買取り査定依頼もお気軽にお待ちしています!
さぁ、本日も皆さんから買い取らせていただいた数々の素晴らしい作品たちの中から、最近とても買取りで増えている「掛軸」を今回も早速ご紹介させていただきたいと思います。
【江戸時代後期・円山応挙(圓山應擧)】筆 紙本水墨『赤壁之図』大幅掛軸【円山派の始祖 伝】
作者は「円山応挙(圓山應擧)」です。作品の写真と一緒に作者についても簡単にご紹介させていただきますね!
享保18年(1733年)丹波国南桑田郡穴太(あなお)村(現在の京都府亀岡市曽我部町穴太)に農家の次男として生まれました。幼少期の頃のことは、どこにも残っておらずあまり知られていないそうなのですが、少なくとも10代の後半には京へ出て、狩野探幽の流れを引く鶴沢派の画家「石田幽汀」の門に入られています。
20代の修行期の頃には、いわゆる「眼鏡絵」の制作に携わっていたことが知られています。そして、この頃には、京都四条通柳馬場の尾張屋中島勘兵衛という玩具商に勤めていたそうです。そこでオランダ渡来の眼鏡絵を見て、宝暦9年(1759年)頃に「四条河原遊涼図」・「石山寺図」・「賀茂競馬図」・「円山座敷図」・「三十三間堂図」などの京都風景の眼鏡絵を制作されました。
眼鏡絵 = 風景などを西洋画の遠近法を応用して描き「覗き眼鏡」という凸レンズを嵌めた箱を通して見ると立体的に見えるというもの。
応挙が見た眼鏡絵というのは、45度傾けた鏡に映した絵をレンズを通して眺めることで遠近が深く感じることが出来るというもの。よって、この原画及び図上の文字は左右反対に描いてあったということです。作品は木版墨摺り。手で着色したもので、画面には小さな孔を開け、薄紙を張って裏から光を当てるという、素晴らしい工夫が見られました。
明和3年(1766年)から「応挙」を名乗り始めたそうです。「応挙」の意味は「銭舜挙(中国宋末 - 元初の画家)に応ずる」ということだそうで、中国の大家に劣らぬ水準の絵を描こうとする意味が込められていると想像します。
応挙の画風上の有名な特色としては、近世の日本の画家のなかでも際立って「写生」を重視したことが真っ先に挙げられます。また、写生の技術を基礎としつつも、日本絵画の伝統的な画題を扱うなどして、装飾性豊かな画面を創造しているところも彼の特色です。
改めて、今回は、江戸時代中後期に活躍された絵師「円山応挙」の雄大な長江・赤壁の景観を非常に繊細な描き込みで表現した、圧巻のこちらの大幅掛軸「紙本水墨『赤壁之図』」のご紹介でした。
写真から洗練された技術と細やかさを存分に味わっていただけたのではないでしょうか。
今回もまた素晴らしい作品に出会わせていただきました。
是非、この感動を味わっていただきたいと思いますので、
ご興味を持ってくださった方は、お気軽にお問い合わせください♩
皆さんのご来店を心よりお待ちしております!
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